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いいたて村までい企業組合

▼郵便番号
960-1801
▼住所
福島県相馬郡飯舘村草野字大師堂65
▼電話
0244-68-2888
▼FAX
0244-68-2889
▼営業時間
月曜~金曜 8:30~17:00
▼休業日
土・日・祝日、夏季・年末年始
▼URL
http://www.iitate-madei.com
▼Mail
info@iitate-madei.com


■村指定文化財(大倉地区)
(飯舘村史第三巻 三九五頁より)
大倉の葉山ごもり・・・村指定文化財無形民俗文化財
はじめに
 葉山は、阿武隈山地に多く分布し羽山、端山、麗山などの字をあて、奥山に対して里近い端山の意であり、端麗の里から一望される山である。
信仰の対象は山そのものであり、古態を保つものには社殿はなく臨時の祭場に神を招き、潔斎した村人達が宣童――神託を告げるもので、神の心を持つ無垢な人――を通して村落生活の禍福、作の豊凶をうかがう神事が祭りの中心をなす。
祭日は春は旧四月八日、秋は旧十月八日の前後が多い。
 この調査記録は、昭和四十六年十一月二十八日、二十九日、昭和四十七年十一月十二日、十三日のものである。

(イ)餅搗き
 祭場の岩井山福禅寺(真言宗、古くから葉山の別当寺という)に、祭りの参加者で、籠り人二十余名が白い行衣を身に纏い参集。
 五時過ぎ庭に新藁を敷き、その上に臼を置いて、五、六人の白鉢巻、白行衣姿の籠り人たちが、千本杵を手に口には紙をくわえ裸足で餅を搗く。
まず、半搗きの餅をとり、おみさきとかはんねりとか称して笹を敷いた三方の上に載せて祭壇に供える。 再び搗き始め、翌朝〈お山かけ〉の折、籠り人に配る餅を丸める。
余った餅は参加者の夕食に供する。

(ロ)祭場
 岩井山福善寺とその境内 福善寺本堂の中央に祭壇が設けられ、半搗きのおみさき・神酒・大根・白菜などの神饌・その他、青竹で作った二メートル程の大梵天二本、翌日の〈お山かけ〉の折、処々の神々に供える白弊五本、同じく山頂の葉山の神に納める餅を入れた苞、大小各々一個、それに色弊、宣童の持つ宣弊(のりべい)二本、鳥居に下げる注連繩、お札などが供えられてある。
 なお、四十六年には、山頂の葉山の社の屋根替えが行われたので、ご本尊の懸仏(薬師仏)が開帳された。
 葉山は他の例に徴して、山自体がご神体という例がおおく、このような、御本尊の開帳などは後世の修験道の影響によるものであろう。
 祭壇の下、他より一段と高いところの中央に宣童が坐し、その左右に祭りの執行者である僧侶三名〈福善寺住職その他。
以前は、福善寺住職の他に、隣部落の法印、大蔵院が参加〉そこより一段低くなっているところに二十余名の籠り人が坐る。
 籠り人の多くは子供、その中に〈ごんだち〉と呼ばれる赤い縁取りをした袖なしを着たものがいる。
祭りに八歳ぐらいから参加し、三年間〈ごんだち〉を勤め、後は一人前の籠り人となる。
この間手にする御弊は五色のもので各人の願い事が書かれてあり、翌朝、お山かけの折山頂の葉山さまに納めてくる。

(ハ)祭り
 祭りは、錫杖の合図で僧侶が唱える〈般若心経〉の読経で始まる。
これが終えると全員で「サンゲサンゲ、六根ダイショウ、オシメニ、八大金剛ドウ、ミナミナコンボウ、浄瑠璃世界、薬師ノ  リコウ、如来ジン、ライハイジン、エイホウガホ、エイホウガンニチホウ、アカイダイショウ、カア  ツキシンキョウ、イチジョウライハイ」なる〈おのっと〉を数回繰り返し礼拝して終わる。
この間、宣童は合唱したままでいる。
 控えの間で食事。
神事に参加する者全員控えの間〈福善寺住職の座敷と中の間〉で餅の夕食をとる。
餅はあんこ餅、豆腐餅、くるみ餅。
あんこ餅は赤餅といい、元来塩味であった。
豆腐餅、くるみ餅は白餅と呼ぶ。
これらの糯米、野菜などの材料は籠り人達が持ち寄り、自ら料理をする。
女人禁制のこの祭りには、食事にいたるまで決して女性には手を触れさせない。
使用する箸は、前日葉山から伐ってきた竹で作り、祭り中使用し翌日のお山かけの際、藁の苞に入れ、中腹の〈箸神様〉に納める。
 この祭りの鍵持ちは代々佐久間家。
当主佐久間馨氏の話によれば、御本尊の懸仏は往古佐久間氏の井戸から出現したものであり、初め氏の氏神に祀っていたが、いつの間にか村氏神の葉山に祀られることになった。
佐久間家では、例え死人が出てもこの祭りには参加しなければならないといい、当主が出なければ祭りは始まらない。
 一同食事が済むと、祭りに先立って、宣童と二、三人の大人の籠り人たちは、寺の脇の沢を堰止めた通称〈大槻掘〉で〈お山繁盛代垢離〉と三度唱え三度水をかぶる。
 潔斎した宣童と籠り人は、神前に坐る。
次に宣童に葉山の神をつけ、〈火つるぎ〉を経て託宣の儀に入る。
 福善寺の本尊の前には、中連が部屋いっぱいに張りめぐらされ、中に宣童、僧侶、籠り人が入る。
水垢離をとらぬ者とか穢のある者は中に入れない。
 三人の僧侶は、錫杖を振り般若心経を唱え籠り人達も〈サンゲサンゲ…… 〉の所謂〈おのっと〉を唱え始める。
籠り人達は、おのっとに合わせ弊束を振る。
正座し合唱していた宣童の身体が次第に小刻みに震えてくると、僧侶の一人が祭壇においてある〈のりべい=を宣童の持つ弊〉を宣童に手渡す。
そこで宣童に籠り人達は神をつけるが、その時の唱え言葉は、「ギャウティ、ギャウティ、ハラギャウティ、ハラソウギャウティ、ボウジ、ソワカ」であり、これを繰り返す。そのうち、宣童の持つ御弊が上下に動き、神がついたことがわかる。
この時、世話人は浄めの塩を籠り人の頭上に撒く。
 祭壇のほうを向いていた宣童は、正座のまま後ろ向きになり籠り人、参詣者に対する。
錫杖を合図に唱え詞が止む。
主祭者の僧侶が宣童に向って、〈何神様がおつきになりましたか〉と尋ね、葉山の神がついたことを知る。
宣童の発することばは、すべて一人称で語る古い形態を保っている。
次に〈火つるぎ=火渡り〉の許しを乞う。
宣童の許可がでると、境内に青竹を四方に立て、注連を張った中に置かれた数束の薪に籠り人によって火がつけられる。
宣童は堂内から兎跳びのような格好で外に出る。
まず籠り人によって塩がまかれ、場が清められる。
僧侶が先導して新藁が敷かれてある火のまわりをゆっくり廻る。
火勢がやや下火になると、宣童が幣を頭上に高く振りかざし、気合をかけて火を渡る。
宣童が、三回こぐと、僧侶、籠り人、一般人がそれに続く。
火を渡ると。
一年中病気にかからないといい、〈やめ〉の合図が出るまで続く。
この〈火つるぎ〉は、身を清める儀式であり、火は神降臨の憑依とも考えられよう。
 火つるぎが済むと、再び祭壇の前に宣童、籠り人達が座に就く、この間に僧侶が一般参詣人から依頼を受ける。
 託宣は、葉山祭りの最も重要な部分であり葉山の神がついた宣童に僧侶が翌年の村落生活全般の禍福、稲作柄、天候、一般農作物、養蚕などに関する伺いを立てる。
次に、籠り人個人の託宣がありそして依頼人の託宣と続く。
託宣を受けた依頼人は初穂を上げる。
 託宣が終了すると、僧侶達は般若心経を唱え数回拍手を打つと宣童は、突然持っていた宣幣を投げ出し、僧侶一人が宣童の背中に指で字を書くと、葉山神は宣童から離れ、宣童は正気に戻る。
 託宣が終わり、暫く間をおき〈ごんだち〉と〈おやじ〉と呼称される大人の籠り人によって〈権現様のお田植え〉の行事が行われる。
この行事は、ごんだちとおやじで輪をつくりその中にごんだち一人ずつ入れ、「見っさいな、見っさいな、ごんだち舞を見っさいな、しょうじかんむり、あーわーあ、かっかかっか 乳飲みたい」と唱え、唱え詞を間違うと胴上げされる。
これでこの日の神事はすべて終わる。
籠り人は各自家路につく。以前は前日と当日寺に籠る即ち二夜籠りを行っていた。

(ニ)お山かけ
 翌朝、斎食しそれが済むと〈箸集め〉の行事に入る。
籠り人が四つんばいになったところの馬に乗った先頭の子供が、〈下にようれ〉といいながら箸を集める。
後に二人、梵天を手にして続く。
殿様行列を真似たという。
 次に、本堂で読経。
一同で〈サンゲ、サンゲ〉と三度唱和。
僧侶の法螺を合図に鍵持ちが厨子を抱いて、葉山に向って出発。
まず、福善寺の上の山津見神社を拝し、次に草野、栃窪へ行く分かれ道で再び拝す。
 又、三叉路のところで愛宕神社を、そしてその近くの行屋を拝す。
御本尊が出現した佐久間家の井戸とその御本尊が葉山の山頂に飛ぶ途中お休みになったおぶくでん〈御仏供田〉とかおげい場とか呼ばれているところに立ち寄り田植え踊りを奉納する。
その歌詞は、「権現様のお田植えだあ  一本植えれば千本だあ  七穂で八升 八穂で九桝とれ」
この御仏供田には、決して人糞を使用しないという。
次いで〈ごんだち舞〉を行う。
これは、前夜祭りの最後に行われたものと同じものであるが、ここでは、田植え踊りの歌詞や仕草を間違えると〈だいもち〉と称して胴上げされる。
又少し進み、食事に使用した箸を箸神様に納め、次に弁天様を拝す。
地蔵堂を通り本殿に着き、福善寺のほうに向って例の唱え詞を唱えながら拝む。
持参した梵天、注連繩は、社殿近くの楢の木にくくりつけ、苞に入れたお供えものは屋根にのせる。
この梵天、注連繩が里の相馬の方に風に飛ばされると、翌年は豊作だといって喜ぶ。
 社前で、一通りの神事を行い、戻って精進上げと称して直会。
これで葉山祭りの一切の神事は終わる。

本堂の
祭壇前で読経が
唱えられる
禊をする籠り人 火つるぎの様子    

(村史第三巻「民俗」より)
大倉の神楽・・・村指定文化財無形民俗文化財
  伝えによると、この神楽は約五〇〇年前の山津見神社の勧請の頃からとか、あるいは後になって、約四〇〇年前から奉納されているというだけで、信のおける伝承はない。
 当村内には数多くの獅子神楽が伝わるが、飯樋地区のものは中通地方からの伝来と思われるのに対して、これは太刀のみや剣の舞がつくところから見て、相馬地方から入ったものであろう。
 山津見神社の鹿島町蛯の浜への浜下りには、欠かせない芸能として大切にされてきた。(第十五回飯舘村民俗芸能発表会・第五回飯樋ふるさと芸能祭合同発表会パンフレットより)

 大倉民俗芸能保存会代表 飯舘村大倉には、獅子神楽が伝わり、その名を「大倉の神楽」という。
この神楽が奉納されるようになったのは、約四二〇年前からだという。
 獅子遣いは三名で、頭遣いを「頭かぶり」、その後ろを「中かぶり」、最後尾を「後かぶり」といい、「頭かぶり」と「中かぶり」は交代しながら舞う。
いずれも袷に両たすきをかけ、白足袋となる。
種目の「散らし」に出る道化は二名から四名で、半数ずつささら一組か御幣と鈴を持つ。
 種目は三種ある。
水神の幣束を持って悪魔を払うと歌った後、囃子が始まって舞となる。
四方固めで「頭かぶり」は、右手に幣束、左手に鈴を持って、舞庭を四方固めに回る。三方固めで「頭かぶり」は右手に太刀、左手に幣束を持ち、三方固めに回る。
三方向のおのおので、太刀を三回振る。
次の歌が続く。
 身は三尺の険を持って悪魔を払う 散らし、終曲で先ず獅子が狂い舞っていったん眠る。
ここに道化がでていたずらする。
獅子は目が覚めて、再び狂い舞う。次に、正面の太刀の乗った三方に向かう。
最初に鞘を、次に太刀を飲み込み、最後に道化の頭に噛み付いて舞い納める。

大倉の神楽
(剣を飲む獅子)
       

(現地の看板にて)
木戸木の栃・・・村指定文化財天然記念物
■飯舘村指定天然記念物(平成元年五月二五指定)

 栃は、トチノキ科に属し、北海道・本州・四国・九州に分布し、山地の沢沿いに自生する。
ヨーロッパ原産のマロニエもこの仲間として知られている。
 六月ごろ、枝先に長さ十五センチメートルほどの白色の花を多数つける。
果実は球状で熟すると三裂し、栗の実に似ている。
 本樹は、「木戸木の栃の木」として親しまれている大木で、みごとな樹容を誇り、樹勢も良い。

▽No1
一樹齢 四〇〇年(推定)
一樹高 二五メートル
一胸高周囲 五.五メートル
▽No二
一樹齢 二〇〇年(推定)
一樹高 三十メートル
一胸高周囲 三.四メートル

木戸木の栃№1
(参考:根元の人身長153㎝)
看板      
 
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