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いいたて村までい企業組合

▼郵便番号
960-1801
▼住所
福島県相馬郡飯舘村草野字大師堂65
▼電話
0244-68-2888
▼FAX
0244-68-2889
▼営業時間
月曜~金曜 8:30~17:00
▼休業日
土・日・祝日、夏季・年末年始
▼URL
http://www.iitate-madei.com
▼Mail
info@iitate-madei.com


■村指定文化財(比曽地区)
比曽の獅子舞・・・村指定文化財無形民俗文化財
飯舘村史三巻五五三頁より
▽名称と所在地
 相馬郡飯舘村比曽は、農家九三戸からなる集落で、藩制時代には相馬から中通りへ塩を運搬する街道(塩の道)もここを通った。
当時は旧相馬領であったが、相馬地方に多い四匹あるいは五匹の風流な獅子舞とは違って、三匹による獅子舞が伝わっている。
これを地元では単に「獅子」といい、他地区では比曽の獅子とよんでいる。
なお、古くは獅子踊りとも言った。

▽行われる時期と場所
 現在では三年に一度の新暦二月の大会で時々舞われるのみである。
かつては部落の次の神社の祭礼に奉納されていた。
田神社 比曽字中比曽 旧暦三月十八日春祭り 旧暦八月一日秋祭り
羽山神社 比曽字小川平 旧暦四月八日
愛宕神社 比曽字下比曽 旧暦六月二四日
稲荷神社 比曽字中比曽 旧暦七月二〇日
田神社は俗に田の神様と、稲荷神社は旧村社と明神様と呼ばれている。
  舞はいずれも午前十時からの祭典の後、引き続いて社前で行われた。

▽演者と衣装
 踊り手は三名の獅子と一名のささらすりの四名である。
獅子は、二匹の雄獅子を「先獅子」、「後獅子」といい、一匹の雌獅子を「中獅子」という。
いずれも花模様の襦袢に獅子袴をはき、後腰に五色の幣束を二本交差させて差し、赤縁の白手甲、紺の脚絆、白足袋、白緒の草履履きとなる。
ささらすりは獅子より多少年長の者があたり、衣装は獅子と同じであるが頭はつけず、前鉢巻となる。
古くは猿の面をつけた。
囃子方は笛三名、大太鼓一名で、大太鼓打ちが歌い手もかねる。

▽採物・用具・楽器など
 獅子頭は木彫の黒漆器塗りで、目は金色に、歯と雄獅子にのみある牙には銀色を配してある。
頭の後部は山鳥の羽が多数差し込んであり、また、前垂れに、古くは藩主相馬氏の九曜紋が染め抜いてあった。
頭の巾は最も小さい雌獅子が十三センチメートル、もっとも大きい先獅子が十四.五センチメートル。
高さは雌獅子九センチメートル、先獅子が二〇.五センチメートル。奥行きはいずれも二三センチメートルである。
銘はない。
腹太鼓は、桐のくり抜き締太鼓で、直径、胴長とも二〇センチメートルで、胴に花模様の布を巻いてある。
ささらすりの持つ「千穂竹」は、全長一九〇センチメートルの太竹で、上部七〇センチメートルに約一〇〇個の穴をあけ、七〇センチメートルの細い割竹に五色の敷き紙を張った「千穂」を差してある。
また、太竹の中央から下約五〇センチメートルは、溝がつけてあり、ささらすりは長さ約三〇センチメートルのささらを右手にもってする。
囃子方の大太鼓は直径四二センチメートル、胴長54センチメートルの鋲留め大太鼓で、昭和四七年ごろに新調した。
それ以前のものは、直径・胴長とも二、三センチメートルちいさかった。

▽由来と沿革
 伝えによると三〇〇年前から行われているという。
幕末には、藩主の相馬氏が巡視の折この獅子舞をご覧になり、その勇壮さに感心されて家紋の九曜をつけることを許されたと伝えている。
三匹の獅子の各名称は、県内では古風な姿を残すいわき地方と同じであるが、千穂一本を中心として舞う形態は、安達郡岩代町の茂原と田沢、それに田村郡三春実沢と酷似していて、かなり密接な関連があると思われる。
(ヒアリングより)
最近では田沢・茂原・山木屋・比曽の四地区合同で獅子舞を舞ったが、それぞれが近い地区なのに舞の特徴は異なっていた。
起源も一八〇〇年代初頭で、天明の飢饉以降なのに不思議である。
当時の獅子舞は悪霊払いであり、神に奉納する行事であったため、各地区同士がそれぞれ競い合った結果、お互いまったく違った獅子舞になったのではないかと考えられる。
また、獅子舞は大別して二つに分けられる。
神事を優先しひたすら神様に奉納することを目的とした勇壮な獅子舞と、道化が入り華やかで大衆的な獅子舞の二つである。
比曽の地はたびたび冷害に見舞われたため、本気になって豊作を願った結果が、獅子舞の特色になってあらわれたのではないかと考えられる。
現在は青年団はなく、消防団が獅子舞にかかわる主な組織となっている。
また、獅子舞を教えてもらった当時はすべて口伝で、村の老人に伝えてもらった。
何の資料もないため、教えるほうは本気になって身振り手振り教えるものだから、そんな中で先輩後輩の関係や叱られ方を学び、当時の青年団は今ふりかえれば人づくりの予備校だったという。
口伝だけで二百年近く残り続けた獅子舞はすばらしい文化なのではないかと言っていた。

         

(現地の看板にて)
比曽の水芭蕉・・・村指定文化財天然記念物
■飯舘村指定天然記念物(昭和四七年十一月二七日指定)

 水ばしょうは、サトイモ科に属し、本州中部以北の山地の湿原に自生する。
根は太く、臭気がある。
葉に先立って白い苞(ほう)に包まれた花茎が出る。
苞は純白で元の部分は長い筒で花茎を包み、上は楕円形に広がり先はとがる。
花がおわると花茎は伸びて、苞は落ちる。

 以前は、村内数地区に自生していたといわれるが、現在ではここだけになってしまった。
花のみごろは、四月下旬である。

比曽の水芭蕉        

(現地の看板にて)
田神社の神杉・・・村指定文化財天然記念物
■飯舘村指定天然記念物(昭和四七年十一月二七日指定)

 杉は、スギ科に属し、日本の特産種で青森県を北限とし本州・四国・九州の屋久島を南限として自生する。
スギは寿命の長い木で、高木であるためその形状が人目に付きやすく樹木に神霊が降り宿るという信仰が生まれて神社や寺院の神木とされている。
 本樹は、比曽の「田の神様の杉」として地区の人々から親しまれ境内地に残る他の樹種とともに神木として保護されている。

一樹齢 一〇〇年(推定)
一樹高 一〇メートル
一胸高周囲 六.一メートル

田神社の神杉        

(うつくしま電子辞書(webページ)掲載予定文章より)
比曽稲荷神社の社叢
 社叢(しゃそう)とは、神社の森という意味で、稲荷神社は、旧比曾村の鎮守として地元の人たちから親しまれている。
 この神社をとりまく社叢は、ブナ・栗・モミ・ハリギリ・アセミなどの大径木が混生し、小規模ながらもさながら原生の森の景観を呈しており、本村の植生を知る上でも貴重な樹群である。   

稲荷神社の鳥居        

(管野さんへのヒアリング調査より)
山水画・相馬祥胤筆・・・村指定文化財美術工芸品
 相馬藩の特産物は塩で、塩の道を使って伊達や二本松に運搬していた。
比曽はちょうど相馬藩の国境で、比曽から伊達・二本松方面へと分岐した。
また塩の道は、塩の運搬だけでなく人々の往来もあり、参勤交代にも使われたことがある重要な街道だった。
 山水画を所有する管野さんのご先祖は一六〇七年に山中給人として比曽に移り住んだ。
山中給人とは相馬藩の役人を相手にする仕事で、国境を把握させるために国境を案内したり(境目付)地主回り(年貢取立て)したり、参勤交代の時に相馬藩主の道案内する役割についたこともあるという。
藩主が比曽の地に訪れれば、酒を振る舞い手土産に山芋を献上するといった役割を果たし、普段は農耕民として生活をしていた。
 山水画については飢饉の最中に藩主になった祥胤の山水画がなぜ菅野家にあるのかは定かではない。
菅野家と相馬藩の藩主の関係性で言えば、山中給人として藩主を比曽から飯樋まで案内するといったような関係はあったため、まったく無縁だったということではないので、何らかの形で譲り受けたのかもしれない。

(現地の看板にて)
比曽の十三仏・・・村指定文化財史跡
■飯舘村指定史跡(昭和四七年十一月二七日指定)

 愛宕神社境内の花崗岩の岸壁に線刻された十三の仏様は、「弘法の爪彫り石」とよばれ地元の人たちに崇拝されているものの、ここに彫られたいきさつ等の詳しいことは伝えられていない。
 また、境内左手小祠の上部の岸壁面にも四体の仏様が線彫りされてあり、元禄五壬申年(一六九二)五月の銘が読みとれる。
 なお、江戸時代の終わり頃に東善事という寺院が比曽にあったことが記録にみえるが、同寺との関連についても明らかではない。(飯舘村史第三巻「民俗」より)
 比曽字下比曽の十三仏は、土地の氏神愛宕神社の境内にある。
空海の仏像を彫刻したという十二尺の石面には十三の仏体が刻まれている。
弘法の爪ほり石とも土地の人はいっている。(公報いいたて・ふるさとの伝説より)
 弘治二年(一五五六)の四月二十四日、草野の北ノ迫に住んでいた六郎左衛門という者が、この山に来て木を伐っておりました。
 そして昼寝をしている時に夢の中で若い男の神様が馬に乗ってあらわれました。
「私は火の神です。四十日のうちに大火が起るので注意しなさい」という言葉に驚いて目を覚ましました。
 六郎左衛門は日夜除難を祈りました。
五月二十八日に西山より発火しましたが村人がこれを消し村内事なきをえました。
そこで六月二十四日、この山に祠を立て山名を愛宕神社としました。
 この年の十月、愛宕山の麓に寺院を建て愛宕山護法院と称しました。

愛宕神社 十三仏が
彫られた石
     
 
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