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いいたて村までい企業組合

▼郵便番号
960-1801
▼住所
福島県相馬郡飯舘村草野字大師堂65
▼電話
0244-68-2888
▼FAX
0244-68-2889
▼営業時間
月曜~金曜 8:30~17:00
▼休業日
土・日・祝日、夏季・年末年始
▼URL
http://www.iitate-madei.com
▼Mail
info@iitate-madei.com


■飯樋ふるさと芸能まつり(平成19年1月資料より)
 阿武隈山系北部の最高峰「花塚山」に端を発する、「飯樋川」の流域に開けた盆地が飯樋の集落で行政区は飯樋町、八和木・前田、大久保・外内、上飯樋の4つの集落で構成されています。

 人類の生存記録は古く、旧石器時代(1万年前)の遺跡がみられ、藩政時代には「相馬藩」の中にあって、山中郷(飯舘村のほか近隣区域を含む)の陣屋が置かれました。

 古くから水稲を中心とした農業、輪伐による「炭焼き」、更には冬季間の都会への出稼ぎなどを営む純農山村で、高冷地のため昔から冷害の常襲地帯であり、4~5年の周期で冷害もあることから、近年は水稲とたばこ・畜産・花卉・野菜を取り入れた複合経営に変化しています。

 飯舘村の飯樋地区は、日本古来の牧歌適な農村空間が残っており、厳しい自然環境とのたたかいの中から生まれ伝承された有形無形の郷土文化が今も脈々と息づいております。

飯樋町行政区
  1.飯樋町の田植え踊り(平成12年復活)
八和木・前田行政区
  2.八和木の田植え踊り(平成2年に復活)
  3.前田手踊り(相馬民謡)
大久保・外内行政区
  4.外内の手踊り(相馬民謡・八木節等)
上飯樋行政区
  5.宮仲の神楽(狂言入リ)
  6.赤坂の神楽
  7.上飯樋の宝財踊り
全地区
  8.創作太鼓「飯舘はなづか太鼓」(平成10年発足)
 
 しかし、この素暗らしい郷土文化も、時代の変遷と共に伝承者の高齢化、後継者不足等の事情から継承保存することが容易でない状況にあるため、飯樋地区の4行政区と各保存会で飯樋文芸復興会を組織し、保存継承してきたところです。
これを機に各保存会とともに、保存継承活動を通じて、地区住民の愛郷心と自主活動の助長を図りながら、地域の活性化に寄与したいと願うものであります。

飯樋文芸復興会 会長 飯樋町行政区長
  副会長 前田・八和木行政区長
  副会長 大久保・外内行政区長
  副会長 上飯樋行政区長

飯樋町田植え踊り保存会
「田植え踊り」
八和木田植え踊り保存会
「田植え踊り」
前田手踊り保存会
「手踊り」
外内手踊り保存会
「手踊り」
奥州宮仲神楽団
「神楽」

奥州赤坂神楽団
「神楽」
上飯樋豊財踊り保存会
「豊財踊り」
飯舘はなづか太鼓
「創作太鼓」
   
1.飯樋町の田植え踊り
 飯舘村の飯樋町地区は旧飯曽村の中心地にあり、昔、塩の道として相馬中村(相馬市)と二本松市、三春町を結ぶ奥州西街道の道筋にあり、山中郷(さんちゅうごう)を統括した陣屋があった地区であります。

 飯樋地区は四つの行政区約450戸の集落で、各集落に田植え踊りがあります。
飯樋町の田植え踊りはそのひとつで270年ほど前に安達地方から入った田植え踊りと言い伝えられております。

 田植え踊りは、旧暦小正月の七日頃から世話役宅を練習宿とし、一週間ほど年配者を師匠に練習を重ね、12日には小道具を整え、踊り手の道化、早乙女、奴など総勢で笠揃えを行い、13日には、練習した世話役の御宿、大雷神社(田の神様)、菩提寺に奉納し、14日、15日は、地区内の全家庭を廻り、五穀豊穣と子孫繁栄を唱え舞込み、神棚を祀って(まつって)ある中の間で踊り、その年の豊作を願い、米作り作業課程を模擬的に演じた踊りであります。

  踊りは、道化風に厚化粧をし、長襦袢の上に女物の紋付袷を着て片肌を脱ぎ、股引き、水色縁の白手甲、黒脚絆、黒足袋、赤青のひっこきを締めて、赤青二色の頭巾を被り「ふくべ」二名、「軍配」四名で踊る。早乙女は江戸褄で赤縁の白手甲、水色のひっこき、白足袋で花笠を被り「綾竹」「ささら」を持ち六名で踊る。
囃子方は、「唄上げ」四名、「笛」二名、「太鼓」一名が付き、この他時によってお面をつけた「奴」が入ります。

 飯樋町の田植え踊りは、「神楽」と一緒に旧正月の行事として、毎年欠かさず催し伝承してきましたが、戦時中に一時中断し、戦後復活したものの、昭和26、27年頃まで続いてきましたが、時代の流れとともに、田植え踊り、神楽共に完全に途絶えてしまいました。

 その後、村の第四次総合振興計画の飯樋町振興計画に文芸復興と伝承事業を組み入れ、昔踊った諸先輩方の指導を仰ぎ、平成12年2月に約50年ぶりに復活を成し遂げました。

2.八和木の田植え踊りについて
  飯舘村飯樋字八和木に伝わるこの芸能踊りは、七福神と田植え踊りからなり、地元では両者をまとめて「田植え踊り」といっていますが、他地区では地名をつけて「八和木の田植え踊り」と呼んでいます。

 八和木田植え踊り保存会は、組全戸からなり、現在は、踊り手は男女を問いません、かつては1月13日から16日にかけて地区内の全戸を一戸毎に、舞い込んで行われておりました。

 各家では一般に「カッテ」と呼ばれている神棚を飾ってある居間で舞い踊っておりました。この「八和木の田植え踊り」の由来については実は明らかでない部分がありまして、七福神と田植え踊りが一組となって踊り演じられるのは、二本松市の旧石井村や、安達郡の白沢村など、安達地区内だけに見られるもので八和木の田植え踊りの七福神にも、口上を始めとして類似点も多く、つながりは多々あるように思われます。

 ところが、恵比寿と大黒が二人して舞い踊るのは、二本松、安達郡のものに見られますが、掛け合いとなる八和木の田植え踊りは、どちらかといえば、相馬・双葉地区に見られる恵比寿・大黒舞を思わせるものがあり、その影響も強くあったのではとも言われております。

3.前田の手踊り
 前田の手踊り保存会は、昭和60年度に飯樋前田地区の青年会によって結成されました。

 当時地区の先輩の指導で、相馬民謡に乗せた手踊りを習い、主に大雷神社の遷宮祭での奉納を中心に活動をしておりましたが、平成に入り活動は休止状態となっておりました。
その後、平成12年に地区の若者を中心に再結成し、手踊りの継承と新たなレパートリーの取得を目指し現在活動を行っております。

 相馬流れ山踊りは相馬武士の軍歌ともいうべきものであり、その踊り方は3種類あります。

1、鉄扇(てっせん)踊り 馬上で武士が鞭をふるって野馬を追散らす様子を表現した踊り
2、駒返し(こまがえし)踊り 扇をひらいて愛馬を呼び返す様子を表現した踊り
3、駒止め(こまどめ)踊り 愛馬に柄杓(ひしゃく)で御神水を与える様子を表現した踊り
麦搗唄 これは労働歌で、素朴でたのしい歌です。
二編返し 最後の文句を繰り返すことからでた名称で誰にでも親しまれるうたです。

4.外内の手踊りについて
 外内の手踊りは、戦前より外内青年団等の手で相馬民謡を中心に踊り継がれて来ました。

 昭和25年、既に廃校となりました飯曽中学校の建設にあたった原町市の大工さんに当時の青年団が「笠踊り・おいとこ」などを教えてもらって、以来50年、青年団、子供たち、婦人会の手により継承され、大雷神社の遷宮祭、敬老会などで発表の機会を経てまいりました。

 平成3年4月10日、外内西、東組全戸で「外内の手踊り保存会」として、再出発することとなり、同年の5月「飯樋文芸復興会」による「飯樋ふるさと芸能まつり」への参加など、発表の機会があるごとに参加してまいりました。今後は相馬の民謡を中心にレパートリーをより幅広いものにし、さらに自分たちで演奏のできるような保存会にして参りたいと考えております。

5.宮仲の神楽(かぐら)
 この神楽は、そもそも伏黒神楽系のもので、約250年前、飯樋町古川ミツエ氏の先祖から、宮仲の佐藤勉冶氏が教わり伝えたものが始まりとされております。
しかし、戦後に組分れがあったために後継者がいなくなり、囃子(はやし)だけが残りました。

 昭和24年~25年頃に、赤坂の細川留三郎氏により、踊りを教わり復活し現在に至っております。

6.赤坂の神楽(かぐら)
 飯舘村飯樋大火地区で活動をしている奥州(おうしゅう)相馬赤坂神楽団です。
神楽は、「神座(かむくら)」から転じたといわれ、尊い魂と人々の信じた神を神座(かむくら)に向かえる鎮魂(ちんこん)の神事が、のちに芸能化されて神楽と呼ばれるようになり、年中行事のひとつとして四季折々に、また社寺の祭礼に、繰り返しくりかえし演じられてきました。

 赤坂(大火)の、神楽は、明治12年、神楽を芸能とする漂流の興行団が当地上飯樋で興行した際、所持する金品が底をつき明日の衣食に困ったため、神楽道具の一切を地元の若連に託した。
それを引き継いだ若連たちが明治25年、菅野サーカス団の団長(当時の神楽団長)より指導を受け、上飯樋神楽となり、その後大正時代に赤坂(大火)地区に伝わり赤坂神楽団として引き継がれ地域の若連衆の手により、絶えることなく現在も守り継がれております。

7.上飯樋の宝財踊りについて
 上飯樋の宝財踊りは、今から70年前の昭和7年6月、三峰神社鳥居落成式に奉納されたのが最初と聞いています。

 そのときの指導者は、鳥居大工であった原町市の郡春二(こおりはるじ)さんという方だったそうです。
それから、現在まで、上飯樋部落の後継者により踊り継がれてきました。

 踊りの由来は南北朝時代に遡り、北畠顕家卿勢が南北朝の権力争いに破れ、鹿島の地に変装をし、調子よく踊りながら敵の目を欺き(あざむき)落ち延びたというところにあるそうです。

 踊り子と呼ばれる7人と、徳川時代の東海道中姿の3人の10人ですが、通称博打打と呼ばれる余興がつきます。
ひょうきんな踊りや口上といわれる台詞を言ったりして楽しませます。

8.創作太鼓「飯舘はなづか太鼓」
相馬地方で一番高い山が飯舘村にあります「花塚山」で、標高918mあまりの山です。
私たち、太鼓を愛する同志は、太鼓の芸術性と、人の和を、最高理想とするこの志を花塚山にたとえ「飯舘はなづか太鼓」と命名いたしました。

 私たちは愛宕陣太鼓連響風組代表の斉藤道夫氏にご指導をうけ、週1回会員一同汗を流し仲間作りをしております。
青少年の、健やかな成長や、高齢化社会の生き甲斐と地域社会への貢献を考え、さまざまなイベントやボランティア活動に、積極的に参加しております。

 私たちは、常に基本を大切にして、それぞれの立場に責任を持って豊饒(ほうじょう)を願い稔り多い発展を約束する喜びのリズミカルな太鼓と、力強い太鼓を打ちたいと一同意気に燃えてがんばっております。
 
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