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いいたて村までい企業組合

▼郵便番号
960-1801
▼住所
福島県相馬郡飯舘村草野字大師堂65
▼電話
0244-68-2888
▼FAX
0244-68-2889
▼営業時間
月曜~金曜 8:30~17:00
▼休業日
土・日・祝日、夏季・年末年始
▼URL
http://www.iitate-madei.com
▼Mail
info@iitate-madei.com


■山津見神社
鎮座地 福島県相馬郡飯舘村佐須字虎捕266
電話 0244-42-0846
山津見神社パンフレットより
御祭神
大山津見神(大山祇神)

由緒
 後一條帝の御代(約九〇〇年前)真野の里に生まれ育ったといわれる橘墨虎と云う凶賊がおりました。
 墨虎は容貌魁偉、神通に長けた豪の者で常に部下を引き連れて村落を横行し民家を襲って財物を強奪し「墨虎の通る時は駅民みな縮み上がり遁げ惑う」状態となり良民は大いに難渋しておりました。
 墨虎は霊山に物見台を設けて遠近を一望するなど、勢力益々強大となり、当時の豪族達みな墨虎に服従して朝命に従わず、まさに猛虎の如き勢いとなりました。
 後冷泉帝の御代永承六年、源頼義公奥境鎮守のため下向し掛田に陣したとき、駅民達窮状を訴えて墨虎を退治して何を除き給えと哀願しましたので源頼義公は部下に命じ墨虎を討たせる事になりました。
 墨虎は霊山の嶮に拠りよく戦いましたが遂に破れ、単身亘理(宮城県)まで逃れましたが、又立ち戻って陰現出没捕える事が出来ず、さすがの頼義公も大いに悩んでおりましたところ、ある夜夢の中に山の神が現れ「墨虎を獲んと欲せば白狼のあしあとをふみ追うべし」とお告げになられました。
 頼義公は直ちに臣藤原影道に追跡を命じました。影道は郷人管野蔵人、今神助右エ門を嚮案内として山中に入り嶮しい山嶺、荊棘が点々と一きわ高く突き立った巌石に向って続いており、これをたどって遂に岩窟(籠石)に潜んでいた墨虎を見つけました。影道は憤然として「墨虎天罰免るべからず朝命の刃に伏せ」と叫びざま、逃れようとする墨虎めがけて短刀を擲って背より腹に刺し貫きました。
 遠近始めて安堵、頼義公大いに山上の威徳を感じ、山頂に祠を建て虎取山神と御名を称えて報賽致しました。
 後、国司北畠顕家郷城を霊山に築かれた時頼義公の偉績を敬重し且つ大神の威徳により屢々戦捷したので篤く崇敬したといわれます。
 墨虎を捕えた事から虎捕山と呼び、刺は佐須と云う地名になったといわれます。

山の神について
 山の神は、国生みの伊邪那岐神、伊邪那美神の御子神で、正しくは「大山津見神」と申し上げます。
神典によりますと、鹿屋野比売神(野の神)と山野のすべてを主宰り、坂、谷そして盆地の神々を次々に生まれたとあります。
つまり山の神は、国土を守護される神で、国土のシンボルであり、最も清浄なところの「山」をお名前にしておられるのです。

お使いに猛々しい白狼を駆使されて速やかに奇験を現しますので「高神」「荒神」と畏れられております。

産業の神
 山の神は、春になると山から平野に降りて「田の神」となり、広く農作物の守護をされ、秋になってその豊穣を見届けられると、また「山の神」になって山に戻られるという全国各地に見られる信仰からも山野に生育するものを、すべて恵み給う「農業の神」として知られております。
 又、山野の樹木、土石を用いることから、建設業の守護神となり、山間部の天然資源を求めて鉱山が開発されると、工業の守護神となって、事業の繁栄と、そこに働く人々の作業安全を守護されており、そればかりでなく、市場の守護神(神大市比売神)を生まれて、商業交易の信仰に力を尽くされるなど「商売繁昌の神」とも申せましょう。

交通安全の守り神
 昔より山奥深く嶮岨な山を登り下りして、林業、鉱山に携わる人々はもとより、人里離れて山を越え谷を渡った旅人にいたるまで、山の神に交通の安全を願ったことは当然の事で、古い祈願詞でも、峰の先々も無事に至り通わして下さい、重い荷を背負っていくとも、疲れることなく足を痛めることなく用いる馬、車共々守り導き給えと祈っておりますが、交通戦争といわれる今日一層のお守りを願わずにいられません。

海幸の神
 山の神は一名和多志の神(渡しの神)と称えられ、航海の神として古くより崇められてきました。山の神は高山の頂上より、はるかなる洋上で懸命に働く人々を見守られ、豊漁と海上の安全の導きをされているのだと云う強い信仰は年々盛んになっております。

良縁を願われる神
 俗に、山の神は女の神様で美女が山に登ると妬んで雨を降らすなどといいます。
これは、山の神の御子で、富士山(浅間神社)におまつりされている木花開耶姫と磐長姫という女神と混同されているからなのでしょう。
 皇孫ニニギノ命が、桜花の精のように美しい木花開耶姫を見初められて、山の神にお嫁に下さいと申し込まれた時、桜花は美しいがやがて散ってしまう。
そんなはかない形にばかり憧れることなく、例え醜くとも永遠堅固な生き方も大切であると諭されて、磐長姫も共に見合わせられた山の神は良縁を願われる厳しくも暖かい父なる神であります。

安産
 古来、山の神は安産の守り神といわれております。岩田帯は妊娠五ヶ月に腹に締めますが、戌の日を撰ぶのは山の神様のお守りを授かるようにと山の神のお使いである狼にあやかったものだと言われます。
(狼→山犬→戌→戌の日)
 狼は安らかに子を産み、健やかに育てることで知られております。
 人間以外の動物で、人間の赤ん坊を養育できるのは狼だけなのです。

酒の神
 山の神の御子木花開耶姫は、事情あって、ある誓いを立てられ、自ら産屋に火を放ちその猛火の中で無事男の御子を産まれました。山の神は大層お喜びになられ、天の狭田の稲穂を採り、酒を造られて天津神、国津神八百萬の神たちに配られました。
これが酒造りの始まりです。
山の神は酒造りの祖神なのです。
 酒にご縁がある方々の恵みの神であります。

狩猟の神
 山の神は狩猟の神です。
当神社本殿の鎮まります、虎捕山の参道に懸かる第一の鉄の梯子を上り詰めたところの八帖敷きほどの岩場を「的場」と呼んでおります。
昔、猟師達がここから、向かい峰の松の根元に置いた「的」を目がけて、狩猟の安全、豊猟を祈りつつ猟銃を撃ち放ったと言われます。

御眷属信仰
 山の神の御使いは「白狼」で、世に「御眷属様」と尊ばれております。
 もともと神社にはご祭神とご祭神に仕える眷属の神々がおられ、その下にお使いの動物などがおりますが、「白狼」のおはたらきが殊の外著しいのでそう呼ばれているのです。
 特に火盗災難を除く力があるといわれております。
夜中に狼の唸り声で起こされて火災を消し止めた話、お使いの絵姿のついたお札を貼って盗賊を捕えた話など昔からよく聞かれることです。
 もとより神々と同じく幽体(すがたがみない)でありますが、お参りに行ったら御本社前に二匹の白い狼が坐っていたなどご縁のある方には姿を顕すことがあるようです。
当社には「御眷属」という古くからの神札があり、一年間に限ってお貸ししており、一年過ぎると一応お返しいただき又新たにお受けしていただきます。
お蔭を受けられる方々も年々増えております。

山津見神社の祭りは旧の十月十五・十六・十七日。十七日は山御講(ヤマオコ)。

(広報いいたてより)
虎捕山
 橘墨虎という豪族が霊山に居城していたが、朝廷に貢物を差し出さないばかりか、物を盗ったり付近の住民を脅かしていたので、朝廷は墨虎を征伐する兵を出した。
しかし、正面から攻めたのでかえって打ち破られた。

 京都から来たもののうち、菅原某は佐須部落にいて時の来るのを待っていたが、前九年の役に源頼義らが下向してきたので七日七夜、菅原 家の氏神である山神にともに戦勝を祈願した。
満願の朝は雪が降っており、家の前には点々と狼の足跡があったので、それをたどっていくとなだらかな丘陵づたいに霊山の裏側から難なく攻め落とすことができた。
墨虎を追っていったところ、洞穴の中にかくれていた墨虎を捕える事ができたというので、そこを虎捕山と名づけ山神を祀ったという。
満願の朝は旧十月十六日のことであったので、佐須山津見神社の祭礼もこの日になったという。

  かつては修験者が修行した山だったと言う事である。

▼山津見神社パンフレット・村史第三巻「民俗」より
(その一)
 後一條帝の御代(約九〇〇年前)真野の里に生まれ育ったといわれる橘墨虎と云う凶賊がおりました。

 墨虎は容貌魁偉、神通に長けた豪の者で常に部下を引き連れて村落を横行し民家を襲 って財物を強奪し「墨虎の通る時は駅民みな縮み上がり遁(に)げ惑う」状態となり良民は大いに難渋しておりました。

 墨虎は霊山に物見台を設けて遠近を一望するなど、勢力益々強大となり、当時の豪族達みな墨虎に服従して朝命に従わず、まさに猛虎の如き勢いとなりました。

 後冷泉帝の御代永承六年、源頼義公奥境鎮守のため下向し掛田に陣したとき、駅民達窮状を訴えて墨虎を退治して何を除き給えと哀願しましたので源頼義公は部下に命じ墨虎を討たせる事になりました。

 墨虎は霊山の嶮に拠りよく戦いましたが遂に破れ、単身亘理(宮城県)まで逃れましたが、又立ち戻って陰現出没捕える事が出来ず、さすがの頼義公も大いに悩んでおりましたところ、ある夜夢の中に山の神が現れ「墨虎を獲んと欲せば白狼のあしあとをふみ追うべし」とお告げになられました。

 頼義公は直ちに臣藤原影道に追跡を命じました。
影道は郷人管野蔵人、今神助右エ門を嚮案内として山中に入り嶮しい山嶺、荊棘が点々と一きわ高く突き立った巌石に向って続いており、これをたどって遂に岩窟(籠石)に潜んでいた墨虎を見つけました。
影道は憤然として「墨虎天罰免るべからず朝命の刃に伏せ」と叫びざま、逃れようとする墨虎めがけて短刀を擲って背より腹に刺し貫きました。

 遠近始めて安堵、頼義公大いに山上の威徳を感じ、山頂に祠を建て虎取山神と御名を称えて報賽致しました。
 後、国司北畠顕家郷城を霊山に築かれた時頼義公の偉績を敬重し且つ大神の威徳により屢々戦捷したので篤く崇敬したといわれます。

 墨虎を捕えた事から虎捕山と呼び、刺は佐須と云う地名になったといわれます。

(その二)
 橘墨虎という豪族が霊山に居城していたが、朝廷に貢物を差し出さないばかりか、物を盗ったり付近の住民を脅かしていたので、朝廷は墨虎を征伐する兵を出した。
しかし、正面から攻めたのでかえって打ち破られた。
京都から来たもののうち、菅原某は佐須部落にいて時の来るのを待っていたが、前九年の役に源頼義らが下向してきたので七日七夜、菅原家の氏神である 山神にともに戦勝を祈願した。
満願の朝は雪が降っており、家の前には点々と狼の足跡があったので、それをたどっていくとなだらかな丘陵づたいに霊山の裏側から難なく攻め落とすことができた。
墨虎を追っていったところ、洞穴の中にかくれていた墨虎を捕える事ができたというので、そこを虎捕山と名づけ山神を祀ったという。
満願の朝は旧十月十六日のことであったので、佐須山津見神社の祭礼もこの日になったという。

山津見神社 虎捕山
(山の神について)
山津見神社の
祭り
百名山に
選定されている
虎捕山
この岩の陰の
奥まった所に
墨虎が隠れたと
言われる

頂上の祠までの
参道にある
湧き水がでる所
  虎捕山
山頂から見た
佐須部落周辺
   
 
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